東京高等裁判所 昭和27年(う)681号 判決
よつて検討するのに、本件公訴事実は「被告人は法定の除外事由がないのに拘わらず昭和二十五年九月十日横浜市南区大久保町三四〇番地被告人方において別紙記載の米国軍票合計九百五十五弗八十五仙を所持していたものである」(別紙省略)というのであつたが、原裁判所は犯罪の証拠が十分でないとして被告人に対し無罪を言い渡したもので、その理由とするところを要約すると、本件軍票は田村ホテル側の所持品と見るべきであるが、被告人が現実にその軍票を携帯所持しているところが証明されたわけではないから、これはホテルの経営管理者の所持にかかるものと考えなければならない。しかるに諸般の事情から見て同ホテルの経営者は被告人の内縁の夫古谷政一であつて被告人ではないと認むべきであるから、被告人を本件軍票の所持者と認定することはできないというに帰着する。これに対し、控訴趣意書は原判決には理由を附せず、理由にくいちがいがあり、若しくは法令の適用を誤つた違法があり、又は事実の誤認があると主張するものであつて、要するに被告人を本件軍票の所持者と認むべきだと主張しているものと解せられる。
そこで、まず、ここにいう「所持」の意義について考えてみるのに「所持」とはある物を自己の事実上の支配内に置くことであるが、その様態は必ずしも場合によつて同一ではない。これを携帯握持しているのはその最も典型的なものであるけれども、これに限らず、自己の支配する場所内に格納しておくのも所持であるし、他人と意思を通じ直接にはその他人をして支配をなさしめることによつて間接にこれを支配するのもやはり所持にほかならない。この最後の例においては、直接支配者もまたその物を所持していることになるから、二個の所持が同時に併存することになるのである。これを要するに、所持という観念は携帯握持という観念よりはるかに広い観念で、前述したとおり「事実上の支配」ということによつて成立するものであるが、その反面、その「事実上の支配」という状態の存否は場合によつてはかなり微妙な事情にかかつていることも少なくないのであつて、そのような事案にあつては具体的事情を詳細に知るのでなければ判断を下しえないことが多いのである。
そこで本件について、考えると、本件田村ホテルなるものは外人専用の旅館であつて、本件の軍票はその営業上ホテル側が客から受け取つたものと認められる。そして原判決にもいうとおり前記日時にこの軍票をなんびとかが現に携帯握持していたという証拠は一件記録中に存在しないのであるから、携帯握持以外の態様においてなんびとかがこれを事実上支配していたと考うべきであるところ、それが右のごとくホテルの営業上受け取つたものである以上、その営業に関与するものの所持内にあつたと見た原判決の判断はその限りにおいてはもとより正しいといわなければならない。ただ、しかしながら、原判決がその所持はホテルの経営管理者のみにあるとしたことはどうであろうか。なるほどこのような場合ホテルの管理責任者に所持があると考えるは通例正しいであろう。けれどもそれだから他の者には一切所持がないと判断することには考え方の飛躍がある。たとえば経営者がその営業上客から受け取つた物品の保管を使用人である支配人にさせるということも旅館などではしばしばあることで、このような揚合は経営者と支配人との双方に所持があると見てよいことがあるのではなかろうか。してみれば、原判決が古谷政一を経営者と見たことによつて直ちに被告人を所持者でないと断定した観があるのは賛成し難いところである。のみならず、記録を精査検討してみるのに、原判決が被告人の内縁の夫古谷政一を田村ホテルの単独経営者と見たことにもなお疑問があるとしなければならない。原判決がかく認定した根拠ぱ、その説明によると、(一)古谷政一は他の事業等に関与せず所用以外は外出することも殆んどなくホテル事務に専念していたこと(二)右軍票の発見された同ホテル管理事務室は古谷政一の居間兼事務室として使用していたもので被告人の居室には別の部屋を充てていたこと、(三)同ホテルは二百坪以上の大旅館で女手一つでは経営が至難と考えられること、(四)通常日本の家庭において夫が経営業する場合同棲せる妻も夫の共同経営者であるとか、さらに妻のみが営業主体であり夫がそうでないということは通常の状態でないこと等にあると解せられるのであるが、かりにこれ等の諸点がいずれも肯認しえられるとしても、本件においてはなお原判決の認定に疑を挾むべき事情がいくつか存在すると考えられる。すなわち、これを列挙すると、第一に、本ホテルは株式会社組織になつているところ、その登記簿謄本によると、その取締役は田村卓蔵古谷梅蔵及び被告人の三名で、古谷政一は監査役の地位にあり、田村卓蔵は代表取締役ということになつているが、一件記録によれば田村卓蔵、古谷梅蔵の両名は経営の実際に携つていた形跡なく、取締役としては被告人のみがその業務に直接関係していたものと認められる。もちろん会社の構成がこのようになつていて実際の経営の衝に当る者が監査後たる古谷政一であるというようなことも、絶対にありえないことではないであろう。しかしそれは少くとも通常の事態ではないといわなくてはならない。第二に、右ホテルの水道、電気、瓦斯等の料金がいずれも被告人の名義で支払われていたことが挙げられる。これもやや不可解な点であつて、もし原判決の認定するがごとくであれば、右の支払名義人は会社であるか、少くとも古谷政一であるのが普通である。してみれば、この点についてもなんらか特別の事情が存したことが明らかにされる必要があるであろう。第三、に被告人が本件につき捜査官憲の取調を受けた際の供述を見ると、経営面に関係のない者には言えないようなことがらにも触れていることが認められるのであつて、少くとも被告人は、原審公判廷で述べたように「私は女中と一緒に客のサービスをするだけです」というだけの地位にあつたものではないことがこれによつて窺われるのである。これらの点からみると、田村ホテルにおける被告人の地位は、必ずしも経営者の妻として単にその営業の手伝をしていたにすぎないものとも断定し難い。もつとも、一件記録及び押収にかかる証拠物によると、古谷政二が当時いわゆる管理事務室に起居してホテルの事務の面を専ら担当していたことは事実だと認められるし、同人と被告人との関係からいえば、古谷政一が被告人の使用人のごとき地位において単に事務のみを取り扱つていたにすぎないと見ることもいささか妥当を欠くであろう。これを要するに、当時における被告人及び古谷政一のホテル内における地位は、一般通例の夫婦の場合といささか趣を異にしたもので、やや異例な関係にあつたものではないかとも想像されるのである。そして、その間の事情を知るためには、被告人と古谷政一との間の従来からのいま少しく具体的な関係、会社の役員を前記のようにした経緯、古谷政一が当初から前記のような状態で経営面に加わつていたものかどうかというようなことは少くとも取り調べる必要のあつたことであるし、その間の事情を明らかにするのでなければ経営関係だけでなく本件軍票に対する被告人の支配の関係もまた明らかになるとはいえない筋合である。もちろんこれらの点は原審においてまず検察官が立証すべきことであつた。そして、当事者主義の色彩の濃い現行刑事訴訟法にあつては、証拠はできうる限り当事者が提出すべきもので、裁判所に職権で証拠を取り調べる義務がつねにあるといえないことはもちろんである。しかし、以上述べたような疑わしい証拠がすでに存在し、かつ裁判所としては在廷する被告人及びすでに一度証人として取り調べた古谷政一らに対してそれらの点を確めることが当然考え付くべきことであり、しかも格別の困難を伴うものでないとしてみると、そのような情況の下においては裁判所としても進んで職権でその程度の取調はすべきであつたというべきであつて、その取調をしてなおかつ心証を得られなかつたというならば格別、この程度において直ちに犯罪の証明なしとして無罪の言渡をしたのはその審理においてなお尽さざるの違法があつたものといわなければならない。そして、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである場合に該当すると解されるから、諭旨の一々について判断するまでもなく、原判決は刑事訴訟法第三百九十七条第三百七十九条によつて破棄を免れない。